コラム

乳がんとの壮絶な闘病の末に見えた現実

「乳がん」という病気、ご存知ですか。
乳房にできる悪性の腫瘍です。
この病気は残念ながら年々増加しております。
そして、30~64歳の女性の死亡原因のトップになっています。
以下、引用。

増える乳がん。

女性の30~64歳では、死亡原因のトップ日本では乳がんが増加しており、2018年には9万人の日本人女性が乳がんにかかると予測(※1)されました。

乳がんで亡くなる女性は2016年には1万4000人を超え、35年前と比べて3倍以上にもなっています。
厚生労働省が発表した 「人口動態統計(※2)」では、2018年の乳がんによる死亡数は14,285人[確定数(女性)]と残念ながら増加し続けています。
女性の30歳から64歳では、乳がんが死亡原因のトップとなっています。
引用:ピンクリボンフェスティバル

今回、この乳がんの宣告を受け壮絶な闘病生活を続けながら、島内での治療困難な方々のためのピアサポート施設を開こうと立ち上がったNさん(仮名)にお話を伺うことができました。

ちなみに、ピアサポートとは何かというと。

ピアサポート(英語: peer support)とは、一般に、「同じような立場の人によるサポート」といった意味で用いられる言葉である。なお、相談に力点を置いた「ピアカウンセリング」、傾聴に力点を置いた「ピアリスニング」なども類似の概念である。
“引用:wikipedia

目次
  • 1.がんを知っているつもりだった
  • 2.術後の闘病で見えてきた本当の問題
  • 3.友人の突然すぎる死
  • 4.当事者だからこその支え合い
  • 5.諦めずに生きること

1.がんを知っているつもりだった

クガイ「元々は看護師をされていたんですか?」

Nさん
Nさん
そう、看護師をしていてがんのことを知っているつもりだったし、自分の体は自分が分かっていると思っていたよね。

クガイ「じゃあご自身で胸のしこりの確認も行なったりしていたんですか?」

Nさん
Nさん
うん、触っていたから全然大丈夫だろって思ってたわけ。
で、職場検診のマンモグラフィーを全然受けたことがなかったのね。
いつも自分で触診して、それでずっとパスしてて。
ずっと受けて〜と言われてたんだけど、たまたまその時、ちょうど2、3年くらい前に、
たまたま事務の方から付箋で「お願いだから受けて。」ってきて、
それで、じゃあしょうがないなって、マンモグラフィーを受けたみたわけ。

クガイ「そこで、見つかったと。」

Nさん
Nさん
そう。乳がんの疑いがあると。
だけど、全然信じられなくてさ。
他の人の胸って見たことなかったし見せて〜って言うのも恥ずかしいから、当時、デイケアとかもやっていてから、おばあの胸を見たりして、普通だよな〜って思ってたの。
で、結果を全然信用してなくて、本島で、もう一回ちゃんと受けようと思って、本島でも検査します。って話したの。
その時に、病院から
「改めて検査するとなると自己負担になりますよ?」って。
でも、信じられなかったから、ちゃんと受けようと思って。

クガイ「そして、那覇でも同じ検査を受けたと。」

Nさん
Nさん
そう。で、ドア開けた瞬間よ。
まだ椅子にも座る前に、医者からすぐ「切りましょうね。」って。
いきなり言われて「どこを!?」って。もうね、99%がんだって分かってはいたんだけど、宣告された時の衝撃がすごかった。
分かってはいたんだけど、頭の中で考えたことは「切るってどこを?」、「全然、自覚症状もしこりもなかったのになんで?」って。
意味が分からなくて。

クガイ「ちなみに、発見された場所はどこだったんですか?」

Nさん
Nさん
乳首の下。
ステージ1と言われて。
乳首の下は、本来見つかりにくい場所らしくって。
3~4%くらいの発見率わけさ。
私の場合、運よく見つかってさ。
だから当時「神ってる」って言葉が流行っていて先生に「先生、私、神ってるね」て、話したのを覚えてるさ笑
ショックはショックだった。
でも気持ちを切り替えて悪い場所とれば、治るんだよね。って。

クガイ「全摘ではなく、その箇所のみですか。」

Nさん
Nさん
うん、予定としては悪い場所だけ。
だけど、それは開いてみないとわからないわけさ。
で、その時(全摘)の時は全摘になります。って(医者に)言われて。
切った後は、今の胸より大きいの(胸を)つけてくれる!?」って、頭も混乱していて質問内容もおかしかったよ。

2.術後の闘病で見えてきた本当の問題

たまたま受けた検診で見つかったステージ1の乳がん。
しかも、本来であれば、ただの影だと見落とされがちで発見確率数%しかない箇所。
当時の流行語「神ってる」を自分に当てはめて先生に冗談を言いつつ必死な気持ちで話を聞いた。
そして石垣に戻り、乳がんであることを友人に打ち明けたNさんは涙が一気に溢れた。

クガイ「もしかしたら(胸が)なくなるかもしれないという恐怖はあったんですか?」

Nさん
Nさん
うん、もしかしたらね。
でも、なくなったら無くなったでその時は、もう仕方がないと。
むしろ残すのが怖いから取ってって言った。
(当時)もう勉強不足で、取ったら終わりって思ってたわけさ。
あの時は、手術が終わったり(乳がんの闘病は)終わりで、後は薬を飲むだけでいいと思ってた。
だけど、結局、放射線治療とホルモン療法は必須だった。

クガイ「ホルモン療法?」

Nさん
Nさん
内分泌療法ね。女性ホルモンを抑えるの。

クガイ「え!?女性ホルモンを抑えるんですか!?」

Nさん
Nさん
そう。
乳がんは女性ホルモンが活発に出ているから、それ(女性ホルモン)を抑えないといけないの。
だから、更年期障害のような症状が出るの。
年齢的にも更年期障害になりやすい時期ではあったんだけど、このホルモン療法がすごくきつかったの。

乳がんの手術は石垣島ではできない。
そこで本島で手術することを選択したNさんは乳がんの治療は、手術で終わると考えていた。
しかし、術後に石垣島ではなく本島でしか受けることのできない放射線療法とホルモン療法を受けることになったNさんの生活は一気に激変した。

Nさん
Nさん
(ホルモン療法が)本当にものすごくきつくて。
いつも前向きだったのね、私。
もう悩みがないって言うくらいポジティブだったんだけど、ホルモン療法を受けてから「死ぬことしか考えられないくらい落ち込んだ。

クガイ「うつ病の症状が出たんですね。」

Nさん
Nさん
うん、鬱になった。
で、そんな感じで1年中過ごしていた。
で、入院中に知り合ったのが八重山病院の看護師だったんだけど、当時一緒にいながら話していたのが
「(乳がんの)治療って5年だよね。
たった5年の治療なのに、なんで皆できないのかな〜って。
5年頑張ったら生存率が上がるのにって。」
って話していたのを思い出したわけ。
で、自分が治療を始めてみて、
「いや、これはきついわ。」
って気づいて。
薬に関しても薬剤師や先生と何回も喧嘩したしね。
「本当に5年間もこんな薬飲める続けらるか!」
って、そしたら(医者から)5年間飲み続けられる人はほとんどいないって言われた。
「じゃあ、なんで進めるの!?」
って言ったら、
「これが、一番適しています。」
と。
薬代も高くて。
3ヶ月一気に出されるから、万単位のお金が一回で飛ぶ。
で、放射線療法とホルモン療法のために毎回に本島に行くための旅費とホテル代。
体力もないから、その日で帰れる訳じゃない。
一回休まないと動けない。
だから、ホテル代がかかるさ。

クガイ「石垣には乳がんを専門で診察してくれるお医者さんっていないんですか?」

Nさん
Nさん
徳洲会には、いるみたい。
だけど、手術をするってなったら本島に行かないといけない。
で、放射線療法に関しても石垣の規模ではまだ無理だと言われた。
だから、放射線療法が必要ってなったら那覇に通院と思っていてください。

クガイ「那覇の通院レベルって、毎月じゃないですよね。」

Nさん
Nさん
毎月でも毎週でもなく、毎日。
だから、入院が必要。
だけど、ホテル代わりに入院できる病院はあるよ。
ほんと、食べて寝て滞在できる病院。
そこでは滞在だけして放射線療法は別の病院でやる。
那覇では、タクシーチケットが出る病院もあるから、私はそこで治療した。

放射線治療を終え、本格的に職場復帰したNさん。
治療代と治療を受けるための渡航費、滞在費を稼ぐ必要があると分かっているものの、
以前のような体力があるわけでもない。
そして、看護師というハードな職業でもあったため以前と同じように働くことはできなくなってしまった。
そのため、職場を休みがちになる。

Nさん
Nさん
体力が落ちててさ。
今までできていたことができなくなってた。
体がホントにもうついていかないわけさ。

クガイ「それは放射線療法とホルモン療法を受けているから?」

Nさん
Nさん
そうかも。体力も免疫力も落ちてる。
どうしよう。って考えながら、心も病んでいくわけね。
心療内科にも行って話しをしても、
「治療のせいで、落ち込んでいて(精神的な)病的なところはないね。
薬の副作用はないね。」って言われて。
薬(抗うつ剤)は出せません。
って言われて。
よく眠ったほうがいいということで、睡眠導入剤を処方されて。
あとは体力をつけるためにビタミン入り点滴を休みの日に受けたりしてた。

3.友人の突然すぎる死

体力・免疫力だけでなく精神的にも追い込まれたNさんは心療内科に行き、診察を受けた。
しかし、薬の副作用だからということで、抗うつ剤ではなく睡眠導入剤の処方、そして点滴を受け始めたNさんだったが、さらなる悲劇が彼女を襲った。
「味覚障害」である。

Nさん
Nさん
ある日突然、味覚障害になったのね。
何食べても辛いとか苦いとか。訳分からなくなってきて。食べたら吐くとか。
もう、食べ物を一切受け付けない。
そんな状態で、最終的には水も苦く感じて。
薬も飲めない。
で、病院に行って医者に「先生、なんかおかしいよ。」って。
言った時には1ヶ月で10〜11kgまで落ちてた。
医者からは「もう仕事行くな。休め」って言われて、現在に至るんだけど。
この中で、一番何が大変かって言ったら、
収入がない。だけど病院に行かないといけない。
で、その中で、色々気づき始めてきたのが、看護師は普通の人たちよりは収入がある。
だけど、石垣の平均収入は「14〜5万。」その中から、治療費を出す必要がある。
でも、それって、絶対(治療が)続かない金額なんだよね。
私も友達が同じように乳がんの治療を受けているんだけど、みんな同じような症状に苦しんで仕事が続けられなくて辞めていく人が多い。
で、生活保護を受けてる人ばかりなんだけど、みんな続かない。

クガイ「続かないっていうのは、治療がですか?」

Nさん
Nさん
そう治療。というか通院。
お金を取るか生活を取るかどっちかの選択を迫られるから。
だから、頭が混乱してる。お金の問題が大きくて窮地に追い込まれていくから、心もどんどん追いやられていって病んでいく。
おかしくなってきて、もう死んだ方がいい。
とか何回死のうかと思ったことか。
で、そんな中で最近5年の(乳がんの治療の)ゴールを目前にして再発した友人がいる。

クガイ「お友達は治療を続けていたんですよね?」

Nさん
Nさん
続けていた。
でも、今年4月で5年目になるっていう時に、再発した。

クガイ「治療しているのに、再発するってことはあるんですか?」

Nさん
Nさん
うん、再発する場合もあるわけ。
(友人も)全く一緒。ステージ1で、抗がん剤は打ってないけど、放射線療法も治療も全く同じできてたの。
だから、私、彼女に聞いたわけ。
「飲むのきつかった?って。」そしたら、「うん、飲むのがきつくて辞めてた。」って。
彼女は、「これはもう仕方がないって思ってる。」って言ってる。
でも、彼女も言ってたけど、
「ホルモンの薬は本当に性格が変わるから。
更年期プラス鬱。
いろんなものがついて回って、自分でコントロールができなくなるって。」
でも、通院しないといけない。
治療費はこれ以上は出せない。
じゃあ、どうするの?って。(体力・精神的に)職場にも行けない。
傷病手当でまかなえるレベルじゃないよね。って。

福祉課にも相談したNさんだったが、親が年金を受給しているということで相談内容を却下され仕方なく、自身の葬式費用として貯金していたお金を切り崩す生活を強いられることになった。

Nさん
Nさん
私の友達も途中で結局治療を辞めて病状が悪化し亡くなった人や、自殺した人もいたね。

自殺した友人は同じく闘病中であったが、LINE越しでNさんを励まし続けていた。
「今、死にたくなっているだろ?わかるよ。
でも、今、頑張れ。
ここを乗り超えたら絶対楽になるから。」
そして、Nさんの誕生日の日にも「おめでとう」とメッセージが来た。
が、このメッセージを最後に、その友人との連絡はぱったり途切れた。

Nさん
Nさん
年末に聞かされた。
亡くなったって。
なんで?って聞いたら、黙ってて、それから、何を言おうとしてるか分かった。
でも、それくらい追い込まれるんだよ。
家庭的に収入に余裕がある人たちは、何も感じないかもしれない。
でも、そうじゃない人たちがほとんどだと思う。
そういった人たちは「もういいよ」ってなってしまう。
私も「もういい」って投げ出した時があったから。
もう、自己責任でいいって。
検査だけ通うからもういいよねって。
5年間飲み続けたとしても、完治する保証ないですよね。
再発したら、私どうなるのか先生知っているよね?って、脅してしまうくらい追い込まれた。
それぐらい、もうきつい。
「命どぅ宝」って言うけど、その「命」を守るためには、綺麗事抜きにしてそもそもお金がないと救えないんだよ。

4.当事者だからこその支え合い

クガイ「今、ご自身が肉体的・精神的・経済的に追い込まれていて余裕がないですよね。
どうして、そんな中で、ピアサポートを立ち上げようと思ったんですか?」

Nさん
Nさん
入院中に知り合った看護師と話していたんだよね。
「やっぱりウチら何かやって行かないといけないよね。」って。
「ウチら看護師なのに、そのままでいるっていうのは違うよね。
こうしてここにいるってことはやっぱり意味があって(乳がんに)なっていることだからね。」っていう話から、
「とりあえず、声掛けだけでもできるよね。
掛けられるだけで、すごく勇気付けられるよねって。」
それで、自分たちにできることは声掛けだけだけど、それでもやっていこうかという流れでピアサポートの話が出て。
退院前の勉強会があるんだけど、その時にも婦長に言われたのが
「宮古島にはピアサポートがあるけど、石垣島にはまだない。
だから、Nさん、やってみない?」
って言われたの。
その時は、「私はいいですよ。」って断ったんだけど、ゆっくり冷静になって考えみた時に、石垣島に戻ってきて乳がんを理解して、自分を支えてくれる人がいない。
だから、必要だなって。
で、そのことを話し出したら、少しずつだけど同じように共感してくれる人達が出てき始めて、気持ちを吐き出してくれる人が増えてきたわけ。

クガイ「大体どれくらいの人数ですか?」

Nさん
Nさん
今は8名くらい。
あと、乳がんだけじゃなくて足のリンパのがんの人とかもいる。

クガイ「Nさんが立ち上げたいピアサポートというのは、乳がんを患っている方だけではないんですか?」

Nさん
Nさん
そう。
乳がんだけじゃなく、子宮ガンとか難病。
石垣では治療を受けられない医療を受けている人達。
最初は、がんだけにしようと考えていたんだけど、話しているうちに皆色んな不満が出てくるから。
じゃあ、もう石垣で受けれらない医療を受けている人達みんなをひとまとめにしようかって。
かなり大変な労力になることは分かっているけど、ひとまとめにしようという感じで動いているよ。
でも、とりあえず今のメインはがんかな。

5.諦めずに生きること

当事者同士だからこそ支え合えることができるという思いで、仲間とともに立ち上げたピアサポート。
最後にNさんは笑顔でこんなことを話してくれた。

Nさん
Nさん
私、自分が本当にラッキーだったって思う。
うん。ここ(ピアサポート設立まで)に来るまで。
がんと分かる検診前か。

クガイ「がんとわかってから、色々悔しい思いをしているじゃないですか。
それでも、ラッキーだと思えるんですか?」

Nさん
Nさん
悔しい思いはいっぱいしてきたけど、いろんな意味でラッキーだったなって。
環境的に。

クガイ「やっぱり辛い中でもこうして、支え合える仲間に出会えたということですか?」

Nさん
Nさん
うん、そうそう。
もうどうしよう〜ってなっている時に、目の前を見たら友達がいて、
あれ?って思ったら、電話番号交換しよう!LINE交換しよう!ってなって、連絡を取り合うようになって。
病院でも、「(OPEの)一発目行ってくるね〜。」
「うちは3番目だ〜」とか。
話しができていて。
で、(退院後も)定期的に
「経過どんな?暑くなってるけど、大丈夫か?」
とか、連絡を取り合って、お互いを励ましあったりして辛い時期が分かるから、長い文章じゃなくて、本当に一文書いて送ったり。
すぐの返信を待っているわけじゃないから、それぞれのペースでやり取りをしたり。
本当に、こういうことに何度も救われたさ。

Nさんとのお話しは、今回の内容以上に厳しい現実が見えてくるものもありました。
さらにお話を通して、島内の所得問題、医療費問題、離島医療の限界、届くべき人に届かない情報格差など色々な問題が浮き彫りになっている内容だと個人的に感じました。
今後もNさんとやりとりを通じて少しでもピアサポートのお手伝いを僅かながらできればと考えています。

島内だけに関わらず、まだまだ自身の病気を周囲に打ち明けられずに、苦しんでいる方々がたくさんいるかと思います。
今回のNさんとのやりとりを通じてピアサポートの存在を知ってもらい、少しでも話せる環境を作れる一助になれば幸いです。

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